シーモン・カンパニー

 

20世紀のアメリカン・ドリームを実現させた、真実の物語

1903年、ヘンリー・フォードは自動車の販売を開始し、マリー・キュリーが最初のノーベル賞を受賞し、さらにライト兄弟が、12 秒間の飛行時間を記録 、世界的に技術革新の機が熟した時でした。明るい朝日が20世紀の夜明けの朝露を取り払い、発明と繁栄の黄金時代を迎えたのです。

 

米国北東部、化学に詳しい中西部のある移住者が、20世紀に向けた独自の革新的考案とアメリカン・ドリームを構築中でした。この優れた化学者、Carl F.Siemonは、新たに登場したプラスチックの分野ですでに名声を得て いました。同氏独自の化学合成は 2,500米ドルという投資額を引き出し(現在の50,000ドルに相当)、シーモン・ハードラバー・カンパニーが設立されたのです。パートナーであるWaldo C.Bryant氏の協力を得て、極限温度や沸騰水に優れた耐性を示す耐久力のあるプラスチック素材から、牡鹿の角状ナイフ用柄の模造品を作り出しました。

 

数年後、シーモン・カンパニーの伝説的起業家精神が真に輝きを放ち始め、さらなる技術革新を生み出しました。1906年、同社は3極接続ブロックを携え、まだ未成熟だった電気通信市場に参入しました。当時の標準セラミック接続ブロックに、優れた性能をもたらすものでした。精製高硬度プラスチック化合物で製造され「コネチカット川の泥」という愛称で呼ばれたシーモン社の 3 極接続ブロックは、セラミックブロックによく発生するひび割れや破損を防ぐものでした。このため、同製品は間もなく、当時新規顧客であったWestern Electric(AT&Tの名で知られている)社向けの主要製品となりました。 年月を経て、各種製品が変貌していきますが、シーモン・カンパニーは依然としてAT&T、およびその他Bell関連会社に革新的製品を供給し続けました。今日では、同社最古参の継続的サプライヤとなっています。

 

その後の10年間で、シーモン・カンパニーは、その製造技術力を進展させました。しかし 20 世紀には、理想的な結果と新たな機会がもたらされる一方で、大変な難局も出現しました。20 世紀は世界がかつて経験したことのないような、経済的繁栄と混迷の間を大きく揺れ動く、刺激的な激動の時代でした。シーモン・カンパニーは、こうした情勢を乗り越えてきただけでなく、さらなる成長・発展を続けてきました。

 

「革新性が、当社の成功の鍵となりました。」シーモン・カンパニーの現社長で、シーモン社の舵取りを行っている4人目のCarl Siemonは言っています。「すべてはアイデアと夢から始まっており、当社は今もなお、私の曽祖父の夢を追い続けています。製品、テクノロジーおよび情勢すべてが変化しても、シーモン・カンパニーの基本理念は、1903年以来、変わることなく堅持されています。高品質の製品を作る、極めて優れたサービスを提供する、テクノロジーに再投資する、市場と顧客のニーズを理解しようと真に努力する。他の何よりも、こうした姿勢が、シーモン・カンパニーを業界最前線に定着させてきたといえるでしょう。私は、2世紀目に入った当社の事業を指揮できることを誇りに思うとともに、今後の発展に向けた機会と挑戦に期待しています。」

21世紀の幕が明けた今日、シーモン・カンパニーは創業100周年を迎えました。当社が達成した著しい業績と優れた技術的進歩を祝うとともに、これまでの素晴らしい発展を実現させた人々の労力と支援を称えました。これは、まさに人間および一族に関係する物語といえます。特にCarlという名前を持つ 4 氏の物語であり、彼らの夢、熱意および偉大なる決断により、一族の記念館が建設されました。レンガとモルタル造りの同記念館には、射出成形機および金属プレス加工機も展示されています。この記念館は、米国式ノウハウと古き良き時代のヤンキーの独創性が、驚異的な業績を可能にしたことを示す証しになっているといえます。

 

創業当初


-未加工の粘土を彫る-

Carl F. SiemonがBridgeport、(現コネチカット )シーモン・ハードラバー・カンパニーを設立した日以来、そのビジネスを特徴付けてきたものがありました。それは、プラスチックです。1903年当時、プラスチックはまだ新しい技術でした。次世紀には、社会 、技術に対し、最も大きな貢献をもたらす分野の1つになるとされていました。しかしそれは当初、彫刻家が最初の作品を彫るのを待つ、未加工の粘土のようなものでした。また、シーモン・カンパニーが革新的製品を創出するためにプラスチックを利用した方法は、当初から当社の中核をなす技術でした。

 

米国コネチカット州Watertownにある、シーモン・カンパニーの総本部にある当社博物館を散策すれば、年代物の商品を扱うショップを巡っているか 錯覚を起こしてしまうほどです。前述の牡鹿の角状ナイフ用柄や3極接続ブロックに加え、シーモンは、初期の電話機用の受話器・送話口、ライフルの台尻、電灯用スイッチ、バッテリー端子、ポーカー用チップ、ティドリーウィンクス、さらにはサメの歯の模造品といった製品まで生み出しました。これらの製品 は、プラスチックの分野ではリーダー的存在であり、高品質で信頼性のある製品に対し、相応の評価を確立させていたという事実が示されています。

 

大いなる挑戦


-繁栄への道を順調に進む-

初期の時代は、堅実な成長と市場での受容が中心となりました。会社を成長させるには、様々な方法がありますが、シーモン・カンパニーが当初下した最も重要な決断は、買収による規模の拡大であったと思われます。1923年、20代の若者の増加と、音楽や娯楽といった新しい観念にビジネスチャンスがあるとの決断を下し、Bell Record Companyを買収しました。これは、シーモン社によるレコード業界への初めての参入で した。電気通信業界からは逸脱することになったものの、厳しさが増す経済情勢の中で大きな業績を上げることになりました。それは、大変賢明な決断であった といえるでしょう。

 

ビジネスの勘と技術的知識を結びつけることで、ブームとなった娯楽業界のニーズを満たす、破損しないプラスチックレコードの開発に積極的に取り組みました。こうしてシーモンは、1934年には、従業員140人以上を擁し、5種類の異なったレーべルに向けたレコードを製造していました。中でもDecca Recordsとの提携が最も有名です。魅力的な歌声で人気を博した大スターBing Crosbyと、その新アルバム「ホワイトクリスマス」 は、Deccaのレコードを月産100万枚以上製造させたのです。

 

ベビーブームの頃


-育てる子どもの数が増え、提供する皿の数を増やす-

第2次世界大戦の開戦から戦後の年月にかけても、シーモンの優れた成形プラスチックに対する評価は拡大し続けました。米国海軍との契約により、艦船や潜水艦内で使用されるプラスチック製の食器を生産しました。まず破損することのないこれらの製品には、生涯保証が 付されました。間もなくWatertown Dinnerware Collectionのように、一般大衆にも知られるようになりました。食器関連事業は大いに成功を収め たのです。継続するレコードビジネスと合わせて、ベビーブーム初期にはブーム・ビジネスの時期にもなりました。

 

戦時中、シーモン・カンパニーの指導層が初めて交代するという出来事もありました。父親の跡を継ぎ、Carl M.Siemonが当社の2代目の社長に就任しました。同氏は、大恐慌の経済的難局から戦後の経済拡大期にかけて当社を指揮し、成果を収めました。父親である先代と同様、Cark M.は有能なビジネスマンでした。1954年、同氏が責任者となり発祥の地コネチカットのBridgeportから現在の本部Watertownに移転 。さらに、1926年に買収したWatertown Manufacturing Companyの業務も統合しました。

 

再び交代の時期が来ました。1957年、Carl M.は息子Carlに権限を移譲しました。これにより、3代目のCarl Siemonが当社を指揮することになり、以後数年間に同氏が下す決断により、シーモン・カンパニーがこれまで以上の発展を遂げるための基礎が築かれることになりました。

 

子どもは成長


-独自にブランドを確立-

1960年代、政治的には不安定な情勢でしたが、人口の増加が堅実な経済成長と結びつき、シーモン・カンパニーが成長するための堅固な土台が築かれました。すでにWestern Electric (AT&T) の長期的サプライヤとなっていましたが、電気通信分野の進展と改善に向けて増大している需要に応えるため、別の顧客に対し「66」接続ブロックの出荷も開始しました。人口の増加は、使用電話機の増加を意味 し、1960年代〜1970年代は、電気通信事業が大きく拡大した時期でした。「66」接続ブロックは急速に、新たな電話システムを設置する際のスタンダードになりました。

 

「66」関連製品は成長し続け、営業面での需要が増大していきました。このため、当社はDynamic Tool & Manufacturing Companyを買収し、カナダ及びプエルトリコへの販売網を拡大しました。その後、顧客のニーズに応える べくエレクトロニクスおよび成形部門の部署を新たに設置しました。

こうした事業に関連して、興味深い出来事がありました。シーモンは、優れた製造技術で名を知られていましたが、基本的にはOEMサプライヤでした。「OEM」とは相手先商標製品製造業者を意味し、自社ブランドとしての認識は、ほとんど、あるいは全く得られない仕組みになっています。「66」ブロック製品の販売と、こうした製品の高度な品質と革新性による当社への評価が増大するにつれて、1970 年代後半になって、この体制は変化を見せはじめました。顧客は、シーモンの製品を指定し始めたのです。顧客は、 「シーモン」という名前を認識し、最高の製品を必要とするがゆえに、シーモン製を求めるようになったのです。

 

時代は70年代から80年代へと移り、Carl Siemonは当社の経営権を息子のCarl Nに移譲しました。Carl Nは、先代の父や祖父と同様、エール大学の出身で、高品質の電気通信関連製品メーカーとしての評価の確立のみならず、電気通信業界で新たに浮上した情報配線分野に自社ブランド製品を送り出 し、世界でも名の知れたメーカーになることを望んでいました。これにより、シーモン・カンパニーはその専門技術を、射出成形プラスチック、金属プレス加工、板金成形、さらにネットワークジャック、パッチパネル、ツール、テスターおよび新たなコンピューターネットワーキング業界向け各種製品の自動生産化といった分野に投入し、すべて自社ブランド製品 を提供するようになったのです。これは、重要な記念すべき決断であり、当社を急成長へと導くことになりました。

 

今後、および未来に向けて


-業務はグローバル化-

1990年代は、他に例のない10年間でした。電気通信事業の自由化とパソコンの普及が、歴史的に前例のない、技術的進展の時代を創出しました。この時期は、シーモン・カンパニーにとっても、急速な成長期となりました。Carl N. Siemonの指揮下において、シーモン・カンパニーは優秀なOEMメーカーから、先進的技術による情報配線システムを供給する、世界的規模のサプライヤへと成長しました。シーモンは世界のあらゆる地域で評価を得ています(米国、カナダ、ラテンアメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア)。シーモンは現在、電気通信業界では名の知れたテクノロジー・リーダーであり、カテゴリー6ケーブリングソリューション(高帯域ネットワーク配線ソリューション)を初めて納入した企業となっています。また、商用カテゴリー7ソリューション(カテゴリー6以後の段階)を有する世界で唯一の企業でもあります。

 

100年という歳月の経過が、当社の熱意や起業家精神を弱めるということもありませんでした。当社は一族が所有し、経営する企業です。現経営者のCarlの傍らで業務を行っているのは、John(技術担当副社長)、Hank(販売担当副社長)、CK(転売サービス担当副社長)の3人の兄弟たちです。各々が当社を一貫して支え、業務に専心しています。4人の長年の協力体制により、シーモン・カンパニーは今日のような国際企業へと成長を遂げています。そして彼らがその歩みを止める意志はありません。

 

将来どのような製品が生まれるのか、予測することはできませんが、将来をじっと待っているだけ、という方針は持ち合わせていません。プラスチック分野のパイオニアとして、また製造・技術分野のパイオニアとして、シーモン・カンパニーは、過去を称えるとともに、将来に向けた地位を確保しています。20世紀に得た評価と21世紀への展望‥‥シーモン・カンパニーは、熱心な業務、献身、および夢がお客様に満足をもたらすことを示す、生きた証人といえるでしょう。